犬が死んだ

14歳10ヶ月だった。最期は親父の腕の中で抱かれながら死んだ。名は『ラペ』。


14 歳 10 ヶ月だった。最期は親父の腕の中で抱かれながら死んだ。名は『ラペ』。

母から「ラペがもう危ないかもしれないから。来れるならすぐに来てあげて欲しい」という電話を受けたのが 11:20 過ぎ。昼食前にランニングに行こうと思っていて玄関にいたので、慌てて支度をしていると 1 分も経たずに「死んだよ」と連絡を受けた。学生の頃に家を出てから 10 年以上経っていたのでラペに対する愛情は、同居している人間より薄れていたのは確かだが、たまに実家に帰ると無駄吠えして擦り寄ってくる姿はとても愛しかった。お腹をさすってやるととても喜んだ。自らお腹を見せて甘える姿は滑稽でとても可愛かった。

「犬を飼うか」みたいな話になった時、僕は全面的に反対した。共働きで昼間は誰もいなくてしつけが出来ないし、子供はペットの優先順位を下げるので世話をしなくなる。というのが反対理由だった。だが、しばらくするとラペは家にいた。まだ子犬で、本当に可愛かった。キャンキャン泣いては、走り回り、新築の家の壁をかじっては親父を呆れさせ、フローリングで小便(ときには大きい方も・・・)をしては仕事帰りの母親や学校帰りの僕を悩ませた。フローリングの谷間に入り込んだ小便をキッチンペーパーで爪を立てて吸い取る仕事は二度とやりたくないと今でも思う。

昨年の冬に腎臓が悪いことがわかった。それまですこぶる元気だったので驚いた。親父から聞いた獣医の話によれば「1,2 ヶ月とは言わないけど、もうそこまで長くは生きられないだろう。」とのことだった。そこから 11 ヶ月生きた。それを幸せだったとか、正しかったとか、その 11 ヶ月の何かを判断したりすることはこの先もないだろう。みるみる痩せていき、18kg くらいあった体重は最終的に 12kg まで落ちた。会う度に筋肉が減って骨の浮き出ていく姿を見ると、生の一部として死が存在していると感じた。

最後に会った時、フローリングに立つのがやっとで、小便は我慢できなくなっていた。1 日 5 回も散歩に連れて行ってたらしい。おすわりに堪える筋力もなくオムツだった。あんなに元気よく昇り降りしていた階段も、登れなくなったし、大好きだったご飯もそんなに食べられなくなった。代わりに ── 腎臓が悪くなったせいか ── 水の量が増えた。目はうっすら白く濁り、見えているのかわからなかった。容姿はかなり変わってしまった。ただ、抱きしめて体をかいてやったり、お腹をさすると甘えてきた。それは変わらなかった。

ビニールとタオルを敷いた段ボールにラペを入れ、家の庭に咲いていた花をいくらか入れた。ラペが大好きだったドッグフードをティッシュでくるみ、それを口元に置いた。花を抱えるようにして目を閉じ、丸まったその姿は本当に可愛くて美しかった。

ラペはしつけが出来ていた方では決してなかったし、特に秀でた能力もなかった。でも本当に大好きだった。過ごした時間の中で感情をぶつけた(またはぶつけあった)ことがあったからだと思う。

ある日、母に聞いたことがあった。ラペがかじった壁を直さないのかと。俺がやってやろうかと。すると母はこんなことを言った。

「最初はすごくショックだったし直そうと思った。でもラペがいつかいなくなってしまった時、その傷を見てラペのことを思い出すことが出来る。これもまた思い出になるのよ。」

実家に行った時は君がかじってくれた傷を見るよ。

さようなら。ラペ。ありがとう。